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優雅なる毒の前触れ ⑨

last update Last Updated: 2025-10-09 15:58:27

──二人しかいない。もっといたはず。他の人たちはどこに行ったのだろう。

 アリシアは周囲を見渡したが、姿は見えない。

 ふいに、アリシアの脳裏にあの時の光景が鮮明に蘇った。

 広場の上空、白い仮面をつけた人たちが、ゆっくりと浮かび上がり、音もなく広場を離れていった瞬間だ。

──まさか。

 広場は静けさに包まれている。長く伸びる木々の影が地面に溶け込み、倒壊した家々の隙間からは、本来吹き抜けるはずの風が、なぜか冷たく淀んでいる。

 徐々に何かが広場を覆い始めている気配が漂い、アリシアの胸は高鳴り、思わず息を呑んだ。

 広場が外から閉じられようとしている──そのことにアリシアは、ようやく気づいた。

 仕掛けたのは、あの白仮面たちだ。

 今、目の前にいる二人の白仮面たちのうち、他の者たちはすでに別の場所へ向かっていたのだ。

 その目的は、この場所に毒を集めるため。そして街の人々を閉じ込めるため。

 アリシアは、その場に立ち尽くした。

 薄暗い広場の隅には誰もおらず、倒壊した家々が静かに影を落としている。遠くで風が重くうねる音だけが微かに耳に届いた。

 冷え切った空気が肺を満たし、思考が凍りつく。

 足は地面に縫い付けられたように動かない。

 アリシアの視線の先には、絡みつく蔦と閉ざされた出口が沈黙の中に浮かび上がるだけだった。

 そのとき、礼拝堂の近くに身を潜めていたセラ、ヴィクター、ミリア、そしてテオの四人が、広場の外縁に浮かぶ白仮面たちに気付かれぬよう、静かに息を潜めてアリシアのもとへと歩み寄った。

 足音を殺し、瓦礫の影や木々の幹を辿りながら、互いに小さな合図を交わす。

 テオが先行し、ヴィクターがその後に続き、ミリアとセラは周囲を警戒しつつ後方を守った。

 それぞれの視線は白仮面の動きを鋭く捉え、少しでも音が立たぬよう、呼吸さえ浅く整えられていた。

 やがて四人は、震えるアリシアの背後に辿り着く。

「アリシア……大丈夫、何も起きてない?」

 小さな声でセラがそっと呼びかけた。背後からそっと手を肩に添えられて、アリシアは一瞬だけ肩を震わせて振り返る。息を詰めたままのアリシアの目に、心配そうなミリアとテオ、そして決意を秘めたヴィクターの顔が浮かび上がった。

「今はみんなで動いた方が安全だ。ここから一緒に脱出の方法を探そう」

 ヴィクターは冷静な口調で言って、周囲の
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  • 水鏡の星詠   優雅なる毒の前触れ ⑪

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